「アッティ店長。あれってなんですかね?」
「うん?」
食料品や消耗品の買い出しに、町へと降りてきた二人は、普段よりも少しばかり素材の良いよそ行きの服を身にまとっている。
金属のかたまりが吐き出す排気ガスに顔をしかめながらも、行きつけの店をまわっている最中だった。
道をはさんで向こう側。
小さな手が指をさすほうには、レンガ調のモダンな建物がある。
その壁面には、大きなガラスを埋めこまれ、中には華やかな色合いの布が美しく飾られ、顔のないマネキンが三体、それぞれにポーズを決めていた。
「あれはね、マネキンというのだよ」
「……知ってますよ、それくらい。そーじゃなくて、ほら! また光った!」
小さな小さなムギタくんはボウシごと頭を抱え、伝わらないもどかしさに、その場で足を踏み鳴らしたが、目に入った小さくも主張している白いまたたきにまた声をあげた。
アッティ店長も、その抗議ともとれる動きと声に、小さく首をすくめながら目をこらす。
「……うーん。たしかになにかありそうだね。ちょっと行ってみるかい?」
「もちろんです!」
今にも車行き交う道に飛び出していきそうなムギタくんの肩を押さえ、アッティ店長は横断歩道へと足を向ければ、いそいでいそいでと駆け足になったムギタくんを、長い足で足早に追いかけた。
やっとのことでその店へとたどりつけば、物言わぬマネキンたちは、変わらず優雅な素振りで客を誘っている。
「おかしい、ですね」
「うむ。特に光るような物はなさそうだね」
人目も気にせずショーウィンドウに張りつき、右へ左へ背伸びをしたりかがんだりと、すみずみまでなめるように見る。
息はかかっても、自分の指紋は絶対につけない。AKASATO☆MADEの掃除回数減らし対策が、ここぞとばかりに発揮していた。
そんな無駄な能力をフル活用している二人に、町中を行く人々は優しく、見ないふりをしてくれた。
動かぬ彼女たちが身につけているアクセサリーの数々が、太陽の光で輝きを見せたとも思えなかった。
角度を変えて見ても、さきほどのように強く輝くことがなかったからである。
「スイッチでも、あるんですかねー」
「どこかからの反射が、うまいことなにかに当たって光ったとも考えられるがね」
「うーん……ぼくには自発的に光ったように見えたんだけどな」
「残念ながら、私の目にもそう映ったがね」
「……残念ながら、の意味がわからないんですけど」
口をとがらせながら小さな肩を落とせば、店の扉からおそるおそるのぞいた少年と目が合った。
慌てふためく彼は、慌てふためいたまま扉を閉めようとし、失敗した。
閉めるよりも早く、アッティ店長がすきまに足を差し入れている。
せっかくの革靴が痛んでしまったことに、少々気を落としかけつつも、アッティ店長は少年に、とってつけたような笑顔であいさつをした。
「やあ、こんにちは」
「あ、あの……うちの店になにか?」
「いえね、ちょっと気になった物があるのだが……ああ、扉を引っ張るのをやめてくれないか? おろしたての革靴が痛んでしまうのでね」
「ぼくたち、お客ですから!」
扉とアッティ店長のすきまからムギタくんがのぞきこめば、気弱そうな少年はあきらめたように扉から手を離し、ずれてしまったメガネを直した。
「……なんの、用ですか?」
やっとのことで店内に足を踏み入れることに成功した二人に、疑いのまなざしのまま問いかけてくる。
外から見ても不審者だったのだ。店内から見ても、さほど印象は代わらないだろう。
だが、そんなことはおかまいなしに、二人はもの珍しそうに店中に目をやっていた。
おいしそうなオレンジ色の壁紙に、白い天井や床が明るく楽しい印象をあたえている。
棚やチェストは、アンティーク調でそろえられ、かけられている白いレースも華美すぎず品が良い。その上に乗せられている小物やケースたちは、宝石のような輝きを持ち、目をうばわれる。
「ほう、これはオルゴールなのか。凝った細工だな」
「あ、はい。うちの物は全部一点ものなんですよ」
骨ばった長い指で、赤いガラスがはめこまれたオルゴールを持ち上げ、宝物を発見した子供のように目をみはれば、店番の少年も得意そうに胸を張った。
ムギタくんはなるべく触らずに、息をふきかけるのももったいないとばかりに気をつけて、うなずく。
「本当に、すごい!」
はりねずみや草花が寄り添うように囲まれた、小さな時計の前で、小さなムギタくんも動けずにいた。
触ってみたいが、表示されている値段に、見るだけにしようと決めたようだ。
「本当に素敵な店だが、君一人でやっているのかね?」
「ええ、その……商品は全部、おじいさんが集めた物なんです。その、いろいろあって、母や姉は捨てようって言ったんですけど」
やせっぽちな少年は、金髪を困ったように揺らして、ずれた大きなメガネを直した。
「せっかくきれいな物ばかりなのだから、捨てられるよりは欲しい人に買ってもらおうと思って」
「そうか、良い行いだね」
「……そう、でしょうか。ボクは人前に出るのは、苦手なんです。それに、こんな値段じゃだれも買ってくれないし」
「では、値段をさげてはどうかな?」
オルゴールを元の場所へと戻し、アッティ店長がそう言えば、少年は首を振った。
「母と姉に怒られます!」
「でもこの店の主は、君だろう?」
「……いいえ、店は母が借りてくれたもので。ボクはただの売り子ですから」
「そうは思えないが……ところで、そのメガネは君にはずいぶん大きいようだね」
「はあ、これも本当は売り物にする予定だったんですが、壊れていて。どうせ修理に出すのなら、自分で使おうと思って」
「なるほど」
うなずきながら、アッティ店長はショーウィンドウの内側から外をながめる。
活気のある風景とは、こう見えるのか。などと漠然と思えば、キラリと光るものが目の端にうつる。
消えた後へと目をやれば、そこには白地に淡いピンク色の花があしらわれ、縁や取っ手に金がほどこされたティーセットが飾られていた。
手を伸ばそうにも、マネキンが邪魔をしてとどかない。
「ええと……君の名前は?」
「はい?」
とうとつに聞かれたことに、不思議そうな顔をした少年は、それでも重い口を開いてくれる。
「ラングです、けど。なにか?」
「いやいや、特に意味はないのだけれどね。いつまでも君と呼んでいても、味気ないじゃないか」
「はあ……」
「あ、ちなみに私はアッティ。そっちの小さいのはムギタくんだ」
ほがらかに告げれば、困ったように二人を見比べるだけだった。
そんなラングを気にもとめず、アッティはティーセットを指差す。
「我々は、あれに呼ばれたのだと思うよ」
「アッティ店長、見つけたんですか!」
時計に後ろ髪をひかれながらも、ムギタくんが目を輝かせて駆け寄ってくる。
ただのティーセットに、何を言っているのか。と、さすがにラングが首をかしげた。
「ティーセットを、買いますか?」
「いや、そうではないが……少し見せてもらってもいいかな?」
「いいですけど」
少しだけマネキンを動かして、同じ柄のお盆に乗ったティーポットとカップをさげてくる。
近くのチェストに乗せれば、二人が顔を寄せ合って穴があくんじゃないかというくらい、様々な角度でながめはじめた。
「あの、なにか?」
「うーん、光りませんよ?」
「いやいや、私ははっきりと見たよ。ラングくん、手にとって見てもかまわないかね?」
「え、ええ」
なにをはじめようというのか、メガネを直しながら、面白半分あきらめ半分で見物することにした。
オルゴールの時と同様に、アッティ店長の手は、薄く割れやすいガラスを扱うように、優しくカップをかたむけ、皿の裏まで見る。
ポットに触れようとし、背の高い彼は動きを止めた。
「ああ、これは……」
「わかったんですか?」
「もちろんですよ、ムギタくん」
詰め寄ってくる小さな彼に、見ていなさいと声をかけ、美しいフォルムのポットをラングの前に差し出す。
「これが、なにか?」
「大事なことのようですよ」
「は?」
からかっているのかと、顔をゆがめれば、ラングの鼻に乗っているメガネがずれた。
それと同時に、アッティ店長はポットの小さなふたを取り上げた。
パチパチとした音とともに、無数の小さな光がポットの中から飛び出してくる。
それはラングの前で渦巻き、大きな人型をした光のかたまりとなった。
「て、店長……」
「大丈夫だよ」
ジャケットのすそを、小さな手がおびえたようににぎりしめた。
アッティ店長は、安心させるように大きな手をボウシの上に乗せる。
目の前にしたラングは、かわいそうなほど蒼白となり、その光の前で腰を抜かした。
光のかたまりは、そんな彼に手を差し伸べるような格好をしたが、逃げるようにはいつくばってしまったラングに、困惑しているようだった。
どちらが顔なのかわかるはずもないが、動作からすれば振り返ったのだろうと見てとれる。
ムギタくんは、すばやくアッティ店長の後ろに隠れながらも、怖いもの見たさなのだろうか、そっとのぞくことはやめない。
光のかたまりは、アッティを指差すように腕を伸ばした。
心得たように手の中に収まっているティーポットのふたを、そっと元に戻せば、光は消え、薄暗く見える店内に一人の男が姿を現していた。
すらりとやせた老齢の男。
白髪まじりの頭に、整えられた白ヒゲがとても似合っている。動きやすそうなズボンに白いワイシャツ。いたずらっこのような細い目には、青い宝石のような瞳がきらめいている。
「……まさか、おじいさん?」
「やはりラングくんの、知り合いか」
気楽な調子で言うアッティ店長に、老齢の男が口の端を持ち上げた。
「若いの、出会えたことに感謝する」
「こちらこそ。シドさんですかな?」
「そうだが、なぜ知っておる」
「この素敵な店の物は、あなたが集められたとうかがいましたので」
しわだらけの手が差し出され、アッティ店長は固い握手を交わす。
「だって! おじいさんは……失踪して――」
混乱状態となったラングが、悲鳴に近い声で叫んだ。
話の腰を折られ、少しあきれた顔で振り返ったシドだったが、魚のように口を動かす孫の姿に苦笑した。
「ラング、地べたに座るなんぞみっともない。はよぅ立たんか」
「……でも、だって」
奥のレジスターの近くにあった椅子を、我に返ったムギタくんが運んでくる。
引っ張り上げられ、その上に座りこみ、ラングはあえぐように息をした。
「油断したのだ」
渋い顔をして、話し始めた低い声に三人は耳をかたむけた。
「そのポットは昔、ある貴族の女性がそれは大事に使っていた物なのだ。そして、いつも愛する人とともにティーセットをはさんで語らい合っていた。それは楽しい時間だったろう。だが、幸せな時間は続かないものだ。
戦争によって引き裂かれた二人は、二度と会うことはなかった。女性はこのティーポットを守り、いつしか恋人とまた語らえる日を想っていたが、戻ってきたのは……」
シドがラングへと手を伸ばした。
なにを言いたいのか、なにをしようとしているのか。ラングは瞬時に理解した。慌ててメガネをはずし、放り投げるようにシドへと渡す。
「そう、これをうっかり壊してしもうてな。このざまだ。ばあさんの時もそうだったが、女の怒りは怖いもんだよ」
「しかし、ラングくんがメガネを直してくれて、良かったですね」
「ああ、あのまま捨てられておったら、どうしようもなかったでな」
そう言って豪快に笑ったシドにつられて笑ったのは、アッティ店長だけだった。
残った二人は、顔をこわばらせたまま、目を見合わせた。
「いやはや、本当に助かったよ。若いの」
「アッティです。貴重な体験をされましたね」
「いやまったくな」
「ところで、これを……」
大きな手に包まれたティーポットを差し出せば、シドは一歩しりぞく。
ひきつるような笑顔を作り、こばむように両手をアッティに向けた。
「おいおい、悪いが。盆の上に戻してくれるか?」
「ええ、もちろんです――ああ、申し訳ないのですが。これを私にゆずってはくれませんか?」
「はあっ!? アッティ店長、正気ですか!」
「もちろんだとも。この品は逸品だよ」
「こっちとしては、願ったりだが」
あんぐりと口を開けるムギタくんを、少しだけ青い瞳を憐れな小人へと向け、いいのかね? とつけ加えた。
さすがに申し訳なさそうだったが、なんの問題もないとばかりの笑顔をアッティ店長に向けられ、口をつぐむ。
「ありがとう。ああ、しかしいくらかはお支払いしなくては」
「いやいや、かまわんよ。これも持っていってくれ、引き離すのはしのびないのでな」
メガネも確実に手渡しでアッティ店長ににぎらせた。
その手を離さないまま、シドは低い声で念を押す。
「本当に、いいのかね」
「こちらとしては、願ったりですとも」
「さきほどその小さい子が、店長と呼んでおったな。どんな店なのかね?」
「ああ、雑貨屋ですよ。寂しげな鳥が鳴いてやみませんがね」
「……どう扱う、つもりかね」
しわだらけの顔は真剣さを帯び、こととしだいによっては渡さないという意思が、はっきりと見て取れる。
やわらかい表情はくずさず、アッティ店長がほがらかに笑った。
「私は不思議な物を、こよなく愛しておりましてね。自分だけで楽しみますよ」
「店長、本気なんですね」
「あたりまえだろう。目で楽しみ、このなめらかさを触れて楽しみ。愛でる楽しさは食べてしまいたいほどだよ」
「……店の外で、その変態発言だけはやめてください」
うなりながら非難するムギタくんに、シドが声をあげて笑った。
つかんでいた手は、ゆっくりと離される。
「では、このコらを、よろしく頼むよ」
「おまかせください! それはもう、大事に。なめるように……」
「アッティ店長! やめてくださいと、ぼく言いましたよね!」
漫才のようなやりとりに苦笑しながら、シドはラングに箱と袋を持ってこさせ、丁寧に包んで手渡した。
「わが子を手放すようで、寂しくもあるが。大事にしてやってくだされ」
「ありがとうございます。また寄らせてもらってもかまいませんか?」
「もちろんじゃとも。どうもわしのコレクションは女どもにはウケが悪いでな。欲しい人にもらってもらえるなら、物も本望じゃろうて」
寂しそうに笑う彼に、ムギタくんは首を振った。
「時計もなにもかも、こんなに素敵なのに! 町の人間の見る目がないだけです! シドさんは、すごい人です!」
「ありがとうよ」
「いわくつき、でもかい?」
笑いをふくんだその声に、ムギタくんが押し黙れば、シドもラングも吹き出した。
礼をのべ店を後にした。
ムギタくんが振り返れば、マネキンたちはなにもなかったようにポーズをきめている。
鉄板を切り抜いて作った店名には、シドの店と簡易に書かれていた。
「ああ、それで」
「うん? なにか見つけたかね?」
「なんでもないです」
ムギタくんの声に振り返ったアッティ店長に、首をふってみせる。
わずかな調味料や、米などを買い込んで、丘の上の我が家に帰ったときには、とっぷりと陽が暮れていた。
簡単な食事をすませ、つかれきった体を休ませようと自室にしつらえた屋根裏部屋で、ムギタくんが横になれば、キッチンのほうで音が聞こえてくる。
アッティ店長が、またなにかつまみ食いでもしているのだろうと、体を起こす気にもなれずにまぶたが重くなっていった。
――アッティ店長は、ムギタくんが気づいたとおり、キッチンにいた。
だがそれはつまみ食いなどではなく、湯を沸かし、茶葉を売る店で少しばかりわけてもらっていた紅茶を丁寧に入れている。
カップや皿も綺麗に洗い、全てを盆に乗せて、外に出た。
漆黒のカーテンをひいたその中に、静かに優しく光る星たちが、アッティ店長の動作を面白そうに見ているようだった。
柔らかな草の上に盆を置き、その横に腰をおろす。
それぞれのカップに茶をそそぎこめば、かぐわしい香りがあたりに広がる。
「懐かしい君、ずっと待っていてくれたのか」
そっとつぶやいて、温かな湯気を口から出しているポットを見下ろせば、盆をはさみ、ぼんやりと光る十代の少女が現れた。
立ったまま、その小さな少女は幸せそうに笑っている。
「……遅くなって、悪かったね」
彼女を懐かしそうに見やり、声をかければ、少女は長い髪を揺らして首を振った。
白く光り、今にも消えてしまいそうなほどはかなげな彼女は、アッティ店長へと手を伸ばす。
手の平を上にして、そっとその手をとれば、彼女は涙をこぼし、それでも笑った。
ありがとう ずっと 大好き
そして、彼女は風に乗るように空へと消えた。
外灯もない屋外は、本当の闇が彼におおいかぶさる。
アッティ店長の表情は、その闇にまぎれ、わからない。
紅茶の香りと星空だけが、アッティ店長を優しく包みこんでいた。
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