斜陽が校舎を照らす頃、その一室、窓際の前から三列目の席に一人の男子生徒が浅く腰掛け、窓の外に広がる茜空を眺めていた。
短く揃えた黒髪、なかなかに男前な顔立ち、体格も良く女子受けの良さそうなその男子生徒、鈴木陸(すずき りく)は、ただぼーっとしているわけではない。
彼の机の上には一枚のプリントが置かれている。内容は進路に関するもの。第一志望から第三志望までの欄があるが、そのどれもが今だ空白のままだ。
陸は机に置かれたシャープペンを右で取ると、親指を軸にしてくるくると器用に回転させた。
「はあー……。さあて、どうするかなあ」
溜息をついた瞬間、指からシャープペンが滑り落ち床をころころと転がり、調度そこに現れた人物の上履きのつま先部分にこつんとぶつかり停止した。
「鈴木くん、どしたの?」
声の主である女子生徒は腰を屈めて転がるシャープペンを取ると、にこやかに微笑みながらそれを陸に渡した。
「山中か。お前こそ、どした?」
「どうって、戸締り確認ですけど?」
女子生徒――山中亜季(やまなか あき)は、肩に乗るボリュームある黒髪を後ろに払い、窓を指さした。陸は指先を目で追い窓を見ると、ああ、と短くつぶやくと再び亜季に向く。
「生徒会長さまでしたね」
「そうですよ」
亜季は窓の施錠を丁寧に一つ一つ確認して回りながら、横目で陸の机に置かれたプリントを見る。
「鈴木くん。進路、決まってないの? この時期にそれはまずいと思うよ」
「わかってるよ」
そう言いながら陸は頭を軽く掻くと、黒板の上に掛けられた古臭いアナログ時計に目をやりながら大あくび一つ。
「将来、やりたい事はないの?」
「やりたい事ねえ……」
亜季の問いに陸はつまらなそうに言うと、右に持ったシャープペンを先程のように器用に回転させはじめた。
そのうちに施錠確認が終わった亜季は、陸の向かいの席に腰掛けプリントに視線を落とす。それには書き直した後がなく、なんとも綺麗なもの。
「山中はさあ、なんかあんの?」
「私?」
陸の問いに亜季は少し考えると彼のシャープペンを奪い取り、あろう事かそのプリントの第一志望の欄になにやら書き始めた。
「ちょっ?!」
「いいから、いいから」
亜季はそこへすらすらと文字を書き込み、それを見ていた陸の眉間に少しばかりしわが寄る。
「は?」
「え?! その反応はないんじゃないの?」
そこにはお嫁さん、と女子高生の扱う可愛らしい丸文字で書かれてある。
「オレがお嫁さん?」
「ばっか、違うわよ。私の話でしょ?」
「ああ、そうだっけか。……で、誰のお嫁さん?」
亜季はシャープペンを陸に向けて放ると席を立ち、窓の外に広がる茜空を見ながら背伸びをした。
「さあてね。誰でしょう?」
斜陽に照らされて肌を淡く茜色に染めながら、亜季はにっこり微笑む。子供のような無邪気な笑顔に陸は一瞬、鼓動が強く打つのを感じた。
「なんだよ、父さんとか?」
「ふふ、そうね。そう言う事にしとこっか?」
「なに? 好きなやつでもいんの?」
「教えないよーだ!」
亜季はそう言いながら陸に向けて軽く手を振ると、普段よりもややゆっくりな足取りで教室の戸へ向けて歩き出した。
戸の前に着くと立ち止まり、スカートをふわりとさせながら体を反転、振り返り様に満面の笑みを陸に向けた。
「鈴木くんのお嫁さんになっても、いいわよ?」
「――! な、なに言って」
「あははは! 赤くなってんの! かわいー!」
「お、お前なあ!」
焦り気味に立ち上がった陸をからかうように、亜季は大声で笑いながら教室を出て行き、それを見送ると、陸は溜息を付きつつ再び席に腰を下ろした。
プリントに書かれたそれに苦笑をもらしながら、ゆっくりその文字を消していく。一瞬その手が止まった。
「……冗談、だよな」
つぶやきながら、廊下側へと目を向ける。当然ながらそこには陸の問い掛けに答える人物はいない。その事に陸は再び苦笑をもらし、プリントの文字を一気に消し去った。
それから椅子の背に体重を預けるように座ると、ズボンの両ポケットに手を突っ込み大あくび一つ、西の空に浮かぶオレンジ色の太陽に微笑み掛けた。
「進路、ねえ……。ま、ゆっくり考えるとするか」
机横のフックに掛けた、教材の入っていない薄っぺらい鞄を左手に取ると、肩に担ぎ教室を後にした。
一階昇降口の下駄箱に着くと、上履きから少しくたびれ気味な愛用のスポーツシューズに替え、外に出る。
広大な茜空に浮かぶのんきな雲を見上げ、しばしそれを眺めた。
止まる事なく駆ける時間の中で、何を見付ける?
何かを――見付けられるのか?
ふいに浮かんだ似合わないセンチメンタルなそれに陸は気恥ずかしそうに苦笑すると、賑やかな家族の待つ我が家へと足を急がせた。
――了
***
陸兄の日常! それが垣間見えたようで、幸せです♪
陸兄、モテキャラ確立しつつありますね〜
そして。大事な所に、本気で気づかない辺り、やっぱり海斗の兄ちゃんだわ〜って思ったり(笑
本当に楽しく読ませていただきました!
高田高さま、ありがとうございました!